私の父

私の父は17でその父親を亡くし、6人の弟妹の父親代わりをすることになりました。
祖母にとっては父が頼りだったのだと思います。
機械いじりが好きだったのに、家業の農業を継ぐしか道はありませんでした。
(そのうち機械化が進み、農業も機械いじりできる職業になりましたが。
地区の世帯主の集まりにも顔を出し、若いのに
順番だからと役を与えられることもあったようです。
戦争ではソ連の捕虜として過酷な体験をし、
少しくらいのことには動じなくなったのか、
父は温厚な人柄で、多くの人に親しまれました。
父が26の時、19で嫁いできて苦労させられたという母の愚痴も
いつも穏やかに聞き流していました。
子供の頃、父の胡坐の上に座るとタバコ臭く
タバコの匂いは嫌いなはずなのに、嫌だと思ったことはありませんでした。
それから、よく肩車をしてもらいました。
当時から薄いほうだった髪を掴むと、
「こらこら、髪を引っ張るな」と言われました(笑
私は高い目線から見る景色を楽しく眺めていました。
父は人の噂話が嫌いでした。母や祖母が話していると、
「人のことをごちゃごちゃ言うもんじゃない」
と諌めていました。父は口数の少ない人でした。
そして、父は人前で話すのが苦手な人でした。
祖母が亡くなったとき、喪主のあいさつをしました。
もごもごと何を言っているのかよく分からないようなあいさつでした。
それでも …私はそんな父が大好きでした。
今、私のことも誰だかわからなくなってしまった父だけど…
それでも、やっぱり元気で生きていてくれることを願っています。